まちなか令和4年7月
魚住為楽さんを訪ねて~寂滅をもって楽を為す~
今回は長町一丁目にお住まいの三代魚住為楽(いらく)さんを訪ねた。人間国宝とのことで緊張していたが、ご夫婦お揃いでとても気さくに対応していただいた。長町生まれの為楽さんにとって、子供の頃は聖霊病院の敷地はとてもよい遊び場だったとのことである。聖堂の鐘を鳴らしても咎められることはなかったと懐かしそうに語った。
初代の魚住為楽さんは小松市の生まれで大阪で修行をした後、金沢市長町で独立し、苦労して砂張(銅と錫の合金)の銅鑼を完成させたそうである。初代が金沢で仕事を始めた理由は、前田家のお膝元なので工芸の職人が多く住み材料が手に入りすいこと、職人と客を仲介する道具屋が多いため仕事がしやすかったのではないかと当代は推測している。為楽の号は利休以来の茶人として有名であった益田鈍翁(益田孝 三井物産の大番頭)が命名したそうである。由来は涅槃経四句の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の最後の一句「寂滅為楽」(迷いから解放された悟りの境地に真の安楽がある)に由来する。
初代は信念と努力の人で昭和三十年に人間国宝に認定されている。作品が完成するには一年半から二年以上を要し、砂張の鋳造作業は春と秋にしか出来ない工程とのことである。三代為楽さんは作業のタイミングを決めるのは、見ること、触ること、体内時計であると強調した。家内総出で息を合わせ作業することもあるらしい。長年の失敗と工夫の積み重ねにより身についた知識と技であり、正に極意である。工房では三代の気概と技を受け継ぐ息子さんの安信さんにもお話を聞くことが出来た。作品は茶器を中心に多岐にわたり、石川県立美術館をはじめ、フィラデルフィア美術館、メトロポリタン美術館にも収蔵されている。砂張の銅鑼の音色とその響きは四代にわたり引き継がれ、魚住家の誇りである。
中学生の頃より初代に師事し、戦死された父上の期待と願いを負い、精進重ねて金工の技を極め人間国宝に認定された為楽さんの道のりは、「寂滅をもって楽を為す」という為楽の号にふさわしい人生である。